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VNIふぇりあ16歳へ
スクエア・エニックスのコンピューターゲームはディズニーのように健全な子供の夢です。
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【Cubase、VSTの歴史】
まったく理解されなかったCubaseとバーチャルスタジオテクノロジー
・1996年、Cubase VST3.0 Macintoshの海外での発売
ドイツのSteinbergにより、Cubase VST3.0
Macintoshが世界初のVST(ヴァーチャルスタジオテクノロジー)として発売されました。
この当時は画期的すぎてだれにも理解されなかったものでした。
なにしろCPUベースのDAWはあまりも速度が遅く、DSPベースのDAWに比べ現実的ではありませんでした。
そのためCubaseはむしろシーケンスソフトとして認知されていました。
・1999年、CubaseVST3の日本での発売
すでに海外で先行されていたCubaseVST3の日本での発売。
この当時はMacintosh版が主流で、Windowsは亜流でした。
またCubaseVSTはお世辞にも使いやすいソフトではありませんでしたし、
世界初のVSTインストルメント「NEON」と簡単なVSTプラグインが付属するだけの非力なDAWでした。
世界初のVSTインストルメント「NEON」
現在のCubaseに付属しているVSTプラグインの数々は市販されていました、そんな時代でした。(そのため現在Cubaseのは相当な価値を持っています)
単体で2万円前後のプラグインの数々
SPL De-Esser
Magneto
Q
UV22に至っては10万円もしました。
Cubaseは単なるシーケンスソフトだとみんな思っていた。
この当時CPUベース(ネイティブ)のDAWは、DSPベースのDAWに比べて全く人気がありませんでした。
多くのエンジニアたちはDSPベースを選択しそれがスタンダートになったのです。
そんな、プロにはまったく受け入れられなかったCubaseですが、当時DTMと呼ばれていた、Roland
SC-88や Yamaha MU-50などの 安価な学習用のマルティチンバー音源を使っているアマチュアの初心者の人たちがシーケンスソフトとして使い始めたのです。
当然ハスキーもYAMAHA Cs1x(MU-50相当)にて作品をたくさんWeb上に公開していました。
当時の一般的なプロの環境。シーケンサーでたくさんのMIDI機器を動かし、DATレコーダーに録音していた。
つまり
(S)シーケンサー
(I)インストゥルメント
(R)レコーダー
に分けて使っていたのです。
当時ボコーダーといえばProSoniq
OrangeVocoderです。
・2000年、CUBASIS VST PROJECT PACKの日本での発売
そんな画期的すぎて理解されないCubaseでしたが、
理系大学に進学し、電子工学やコンピュータープログラミングを学び、オーディオシンセサイザー/シンセサイザーYAMAHA
EX5をかなり理解していたハスキーが、日本の神奈川県(カナガワケン)で
DAWに挑戦するために、CUBASIS VST PROJECT
PACKを購入し、Windowsパソコンの自作機を組み上げ、
付属のProject Card(サウンドカード=オーディオインターフェイス)を組み込み
かなり安価にDAWを組み上げたのです。
この最初のDAWが組みあがるまでハスキーは、
パソコン雑誌や自作PCのホームページをたくさん読み試行錯誤したものです。使用している機材は全部ハスキーがいくつもアルバイトをして購入したものです。
CUBASIS VST PROJECT PACKは専用のサウンドカード=オーディオインターフェイスを提供していました、そのため
確実に動作したのでしょう。
最速のCPU(ペンティアム3)でも低速であり、同時に使えるVSTは三つが限度だった。レイテンシーの調節も難しかしく、現在のようにCubaseをインストールしただけでは、ソフトシンセを鍵盤などから鳴らす場合は音が遅れて鳴ったものでした。
VSTとVSTiだけでプロ級の音楽ができるはずだ。「これでどこにも受からなかったら音楽を止めよう」
・2001年、世界初のDAWとVSTiのみで創られた楽曲「Last
Ballet」の誕生
CubaseVST5
日本の神奈川県(カナガワケン)で、CubasisからCubaseVST5にグレードアップした
ハスキーによってCubaseVST5とVSTソフトウェアシンセサイザーのみで初めてDAWの内部完結のみで創られた
オリジナル楽曲「Last
Ballet」(ラストバレット)が誕生しました。
もともと (S) (I) (R)と三つ必要だった要素をVSTを活かし、完全に内部完結させて創ったのです。
Waldorf PPG2.v Cubase上でちゃんと音が鳴ります♪
Pro52
Attack
イラストレーターのお姉さん* がPainterを使っていたのが、「DAWとソフトシンセのみの内部完結」のアイデアをニュートンのように思いつかせたのです
グラフィックソフトPainterはパソコン上に絵の具やペンを再現し、本物の紙に描いたようなグラフィックを作れた。
音色は海外のプリセットを使用し、CPUはIntel(インテル)です。
もちろん一人だけで創っています。その当時は皆、ソフトには見向きもせず、SC-88が隆盛の時代でした。
使用している機材は全部ハスキーがいくつもアルバイトをして購入したものです。
最終的にオーディオインターフェイスはAardvarkになっていますが、MOTUのインターフェイスを買って動作せず失敗もした。
当時の環境。ハードシンセを持っていたがあえて使っていない。
使用されたソウトウェアシンセサイザーはPro52、PPG2.v、Attack、エフェクターはCubaseVST5付属のエフェクター類です。この曲が生み出されるきっかけはYAMAHA
Cs1xのMU50相当のXG音源でたくさんオリジナルの音楽を100曲以上創り発表していたことが大きな理由になっています。
当時、VSTとはわけのわからない代物でおもちゃ同然に思われていました。ハードシンセに対してソフトシンセはまったく使えない、シーケンサーのオーディオの録音機能は使えない。そう思われていたのです。
どうして自分にはピアノの才能が無いんだろう、いやただ努力が足りないだけなんだ。
・ハスキーは毎日、8時間ぐらいピアノの練習を続けた。
また、ハスキーはただ機械をいじっていただけではなくYAMAHA
EX5で、 毎日8時間ぐらい暇があればピアノの練習を続けたのです。
はっきりいってハスキーにはピアノの才能はありませんでした
「もっとなめらかに弾けないの?」と言われてしまうぐらいの腕しかなかったのです。
むしろエレキギターのほうが上手だったのです。
そのかいもあり、後々、バークリー音楽大学を卒業した素晴らしい先生に「ピアノの上手い子」とすら言われるようになりました。
・2001年 7月Halionの発売
世界初のオーディオシンセ(詰め替え式)のHalion
ハードディスクストリーミングによる大容量ASは、ハード音源の常識を覆すものだった。しかし初期のハーディスクストリーミングは、ハードディスクの転送速度も遅く、不安定な代物でした。後にパソコン自体の性能が上がり、安定動作するようになりました。
イロメロミックス(現ドワンゴ)に入社
ラスト・・は最後にはならなかった。
・世界初のDAW+VSTiのみの画期的な制作スタイルの発表
2002年、ハスキーは、東京でアマチュアミュージシャン&最大手携帯サイトのプロの着信メロディクリエイターとして、
とある音楽雑誌のとあるコーナーに取材され、世界初のDAW(ディーエーダブリュー)と
ソフトシンセのみでの画期的な音楽制作スタイルを発表しました。
鍵盤用のCs1xとDAW以外何も無い画期的な制作スタイル。「未来派のスタイル」と評された。世間は、この当時も大量のシンセや音源に囲まれていた。
ただ部屋を広く使いたかった
このスタイルが生み出されるきっかけはハスキーがたまたまワンルームという狭い部屋に住んでいて、少しでも部屋を広く使おうと思って、ソフトだけになったという理由があります。
そのワンルームは現実に東京に存在する物件で、鯛焼き屋さんの近くにあります。
cubase付属のvocoder。
またVST5に付属のボコーダーを使用しています。ボコーダーはトランスフォーマーで有名なロボットボイスです。
・Cubase SXの発売
Cubase SX。
CubaseはSXとなり、同社のNuendoのプログラムを使ったものに一新されました。それによりかなり使いやすいソフトに生まれ変わったのです。ミキシングがよりしやすいように工夫されたミキサーにグレードアップしたのです。
その当時の機材はCubaseSX+ソフトシンセと鍵盤としてYAMAHA
Cs1xを使っています。Cs1xの内臓音源はまったく使用されていません。
CubaseもSXとなり新しいプログラムに一新されたため、音質が向上しかなり使いやすいDAWになりました。
・静穏化PCを真っ先に採用した
その後、ハスキーはWindowsの音楽用パソコンを秋葉原のニューソンというお店で組み立ててもらいました。
静音化してもらったので、HDのガリガリする音や、ファンの音はほとんど聞こえません。
(ハスキーは自分でもパソコンを組み立てられますが、忙しいのでお店に頼んでいます。)
静音化のアイデアはニューソンというお店が最初に考えたものなんでしょうね
後にさらにHDが追加され静音化された自作PC。熱伝導ケースによりHDの騒音がまったく聴こえなくなる
Peuntimu4でもCPUパワーは足りなかった。そして徐々にCPUの速度の上昇とともに現在のようにネイティブでも何でもできるようになった。
ハスキーはこの頃FM7やReaktorなどをかなり熱心に使っていました。
・伝説のライブイベント「エレクトリック」にてライブ
2003年、ハスキーはとある雑誌の伝説のライブイベントに出演します。
最初は、CubaseSXを使ってまずDAWをノートパソコンで安定して動かす事に挑戦しました。
(最初は、オーディオデータを鳴らして安定性重視でライブをしていました)
この時、Cubaseプロジェクトの長さの限界にも挑戦しています。
ただ新しいソフトシンセを使ってみたかった
・HyperSonicの発売
2004年、ハスキーはとある雑誌の読者が、もりゆうの曲をリプロダクトしてしまおうという企画に公正に応募します。
この時、発売されたばかりのHyperSonicの練習で創られました。世界初のASによるマルチ音源
・大容量ASへ The Grand
世界初の大容量ASによるデジタルピアノ。
一度ソフトのみになったが、ハードシンセが再度、導入された
・ハスキーのライブでソフトシンセが大々的に使われるようになりました
ハスキーのライブでソフトシンセが大々的に使われるようになりました。
ノートパソコンのCubaseSXで、ほほ全部MIDIスコアにより大量のソフトシンセ+Roland
JP-8080とその他を演奏させるという
ライブを展開したのです。
クラフトワーク以外で、当時最多の大量のソフトシンセを使ったライブを展開。ただ、動かすことが挑戦だった。
このライブ形式でライブを人間は、世界でハスキーただ一人だけです。
この当時はとにかく問題なく動かすことが大きな挑戦だったのです。
使用している機材は全部ハスキーが毎日労働をして購入したものです。
もはや使っているだけで圧倒したJP-8080
ソフトシンセだけではCPUパワーが足りない部分を外部DSP的にハードシンセで補うという発想でした。
その結果、CubaseSXとソフトシンセはライブで問題なく安定して動くという事が分かったのです。
あの赤いシンセをお手本した有名なSynth1も効果音で使われていました。世界で一番有名かも。
RME Multifaceを使ったマイスタジオ⇔ライブハウスでの使用も画期的でした。
・2004年 CubaseSX3 オーディオワープ
オーディオワープというリアルタイムのオーディオストレッチがついた。また、SX2から改良されたフリーズ機能が。
ハスキーがCubaseの世間での認知度を上昇させた。
2004年8月〜2005年1月 とある雑誌上にて記事を連載。この当時はまだ宅録で、バーチャルスタジオがわかっていなかった 本格的なミックスにはハードも必要だと思われていました。
そこで同誌上でカバー曲をHyperSonic一台で作って見せたのです。
ハスキーは当時、音質が他のDAWに比べて「Cubaseはの音質は劣る、プロクオリティのミックスは出来ない」と
言われてきた、Cubaseを使用し続け、Webサイトやライブ活動、とある雑誌の連載、特集などで
Cubaseの実力を大きく世の中に知らしめたことにより、従来のイメージが大きく覆り一新されCubaseやCPUベース(ネイティヴ)のDAWが
日本で多くの人に使われる事になったのです。
またWindowsを使った事でその圧倒的なパワーにより、後の音楽用のパソコンのシェアがWindowsに逆転するぐらいの衝撃を周囲に与えた。
「TUBASA」の時点で日本で初めてエンジェリックな海外のトランスサウンドを実現する事に成功したところも天才の所業ですね!
・傑作「Delphins」の誕生とCubaseSX3
たくさんのライブ活動の中、ハスキーはレコード会社ビクターエンターテイメントの
「究曲」オーディションに公正に応募します。その結果。
ハスキーはTRACE HEAVEN01にて傑作「Delphins」でメジャーデビューを果たす事ができたのです。
なんで「Delphins」という曲名なのかというと、最初の「Last
Ballet」を制作したときの環境のモニターにイルカが乗っているからなのです。
レコード会社のビクターエンターテイメントは。サザンオールスターズ、菅野よう子(カンノ)、古くはピンクレディーで有名な伝統ある由緒正しいのレコード会社です。
メジャーの一軍にあたりそこで一枚リリースするにも相当な実力が必要です、
2ndメジャーとは違い、メジャーの一軍の人は2ndメジャーならすぐトップに立ててしまうぐらいの実力があります。
今思えばイロメロミックス(現ドワンゴ)の着信メロディも、ゲームミュージック、アニメと同じように2ndメジャーなんでしょうね。
そしてハスキーはプロの作曲家・DAWクリエイターとしての第一歩を踏み出したのです。
・Powerd Cubase。TC PowerCoreの発売。
ハスキーの使い方では当時の最速のCPUでも非力でした。そこで導入されたのが
PowerCoreです SONNAX製のエフェクターの数々のハイクオリティさは日本製品の意地が感じられた。
V-STATION
PowerCore上でも動かせるバージョンが存在した。
・大容量デジタルオーケストラ、デジタルドラムをすぐに採用した。
Misolveハンスジマーで有名な大容量オーディオシンセの活用。日本ではゲーム音楽でよく使われています。
FXpansion BFD
大容量によるリアルなデジタルドラム。そのサウンドのリアルさは本物と区別がつかないほど。
最新のHalionSonic
現座は、ハスキーが重用したHyperSonicが、HakionSonicとしてCubaseに標準で付属しています。HalionもHalion4になりシンセサイザーもつき単なるASではなくなりました。
DISCO DSP
あの赤いシンセと同じがそれ以上の音質を誇るシンセサイザー。
・大容量AS、NEXUSに真っ先に注目した。
NEXUS
大容量があればASでも凄いシンセサウンドが出せるんだと知らしめた傑作ソフトシンセ。
・2009年 Studio Oneの発売
Cubaseの作者が手がけた新しいDAW。Cubaseの古いプログラムが一新された。CDを焼くためのマスタリング機能が追加された。
・最新鋭Camel Audio Alchemyに真っ先に注目した
Alchemy
あらゆる音源方式を持つ新世代シンセ。
・最新鋭KV331 SYNTHMASTERを縦横無尽に使いこなした
シンセマスターの名前どおり新世代シンセSYNTH
MASTERを明らかに他とは一線をかし縦横無尽に使いこなした。
注: 人気イラストレーター(絵描き)の師匠田マリ子
(当時、スクエア・エニックス、電撃プレイステーションの扉絵も描いています)
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